筑肥線は,1970年代までは姪浜~室見まで来てから南下し,室見小学校の南から元城南市民センター(当時の鳥飼駅)を経て別府橋を斜めに横切って小笹の方へ抜けていました。
現在は,その鉄道のあとが「筑肥新道」として,樋井川から小笹へ続く斜めの道に残っています。
一部は緑地公園となっています。
ちょうど,その緑地公園に差し掛かる前の樋井川にかかる橋は,もと筑肥線の鉄橋でした。
現在は,「樋井川筑肥橋」として橋の名前に筑肥線の名前が残されています。
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橋の柵には,筑肥線時代のディーゼル機関車の鉄輪の模様があしらわれています。
二つの車輪が連結している様子が描かれています。
場所
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